報道って。

 たまに、そっとしておいて、と言ってあげたくなる。
 特に虐待関係は。
 

 
 虐待する母親。
 その人に対して、「残忍」とか「信じられない」というコメントがほとんど。
 でも、私は信じられる気がする。
 たとえば、子どもを病院に連れて行く親。
 これは愛してる証拠だと思う。
 極論かもしれないけど、
 好きな子をいじめる。
 っていう、小さい子特有の現象に似てるんじゃないかなって思う。

 特に、実の母親が子どもを虐待するケース。
 これは、ほとんどがノイローゼ。
 夫・地域社会・親。
 これらの援助がなければ、子育てはかなりきついと思うんだよね。
 よく、「昔は夫が子育てするなんてなかった」って言われてるけど、これは違うと思う。

 確かに、ご飯を食べさせたり、じゃれたり、そういうことはなかったと思う。
 けど、昔の父親はちゃんと子どもに接してたよ。
 怒るんじゃなくて、叱ってた。
 そして見本になってた。
 だから、子どもはちゃんと育ってたんだよ。
 叱る親から、子どもはちゃんと愛情を受け取れてた。
 そこらへんを勘違いしないで欲しい。
 
 地域社会とうまく、連携が取れなかった、母親が悪い。
 これも、変だと思う。
 そういう世の中にしてきたのは、今虐待をしてしまってる親たちの、親たち。
 最近の人は……って言うけど、じゃあその最近の人を養育してきたのは誰?
 そこらへん、良く考えて欲しいと思う。
 
 中には、本当に子どもを愛せない人もいるらしい。
 虐待ではなくて、最初から人殺しをしようとする人もいるみたい。
 でも、そういう人だって多分、心の底では好きだったんだと思う。
 ただ、感情をどうやって表現していいか分からなかったんじゃないかな?
 と、ちょっと思ってしまう。
 あるいは、人の愛し方を、教えてもらえなかったのかもしれない。
 子を愛したりするのは本能じゃなくて、後天性のものだと思う。
 母性もしかり。

 子どもが親を殺した事件。
 子どもは、親が憎かったって。
 でも、本当は違ったんだと思う。
 ただ愛して欲しかったんだよ。
 殺された母親は、近所の人に

「あの子に、やられた」

 って、あざを見せたりしてたって。
 子どもが家を出たら、
「いなくなったおかげで、暴力をされずにすむ」
 そう言ったそうだ。

 多分、子どもの方はそれを何度も聞いてたんだと思う。
 だから、殺したんだよ。
 愛されたい。
 愛されていない。
 愛されることはない。
 そう、実感したんだろうね。
 これからずっと、愛されることはない。
 それに気がついたから、子どもは親を殺したんだと思う。
 だって、いらないじゃん。
 愛してくれない親なんてさ。
 
 まあでも、その母親が本当に愛してなかったかは、知る由もないけれど。